蓋公に会うと、蓋公は「治国の道は清静であることが大切であり、そうすれば民は自然に安定する」と説き、そのような考え方を詳しく語った。曹参はそこで正堂を避け、蓋公に住まわせた。彼の治国方針は黄老の術を主としており、そのため斉国の丞相として9年間在任中に、斉国は安泰となり、大いに賢明な丞相と称された。
曹参が蕭何に代わって漢の丞相になると、何も変更することなく、蕭何が定めた規則をすべて遵守した。郡や王国から文章表現に拙いが重厚で長者とされる吏を選んで、召し出して丞相の属官に任命した。
曹参(漢恵帝に対して)は言った。「高帝と蕭何が天下を定め、法令はすでに明確です。今陛下が垂衣拱手の治を行われるなら、私たちは自分の職務を守り、従来の法度を順守して失わないようにすればよいのではないでしょうか?」
曹参が漢の丞相として、極めて清静無為の政治を行い、これは道に合致していた。しかし、秦の苛政から逃れたばかりの百姓たちにとって、曹参の休息と無為の政策は非常に適しており、そのため天下の人々はみなその美徳を称えた。
(『史記·曹相国世家』より)
翻訳:
蓋公に会うと、蓋公は曹参に対し、国家の統治において最も大切なのは清静無為であり、それによって民は自ずと安定すると説いた。そして、そのような考えに基づく道理を詳しく説明した。曹参はそこで正堂を譲り、蓋公に住まわせた。さらに、実際に黄老の学説に基づいて国家を治めたため、彼が斉国の丞相として9年間在任中、斉国は安定し、人々は彼を賢明な丞相として大いに賞賛した。
曹参が蕭何に代わって漢朝の丞相になると、何も変更することなく、蕭何が定めた法度を一貫して遵守した。曹参は各郡や諸侯国の中から質素で文辞に不慣れだが誠実な人物を選抜し、すぐに召し出して丞相の属官に任命した。
曹参は言った。「高帝と蕭何が天下を平定し、法令はすでに明確です。現在、陛下が垂衣拱手の治を行われているので、私たちがそれぞれの職務を守り、既存の法度を遵奉し、勝手に変更しないでいれば良いのではないかと思います。」
曹参は漢朝の丞相として、完全に道家の学説に合致する清静無為の政治を推進した。秦の苛政から逃れたばかりの民衆に対して、曹参は彼らに休養と再生の時間を与え、そのため天下の人々は彼の美徳を称えた。